OSSANS Project since 2020

「もし四十のおっさんがプログラミングを始めたらどう人生変わるのか」
このブログのメインテーマです
肩肘張らずにユルく、ときたま厳しくやっていきます
※プログラミング以外のことも書きます
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私は…

40歳からプログラミングを始めた一人のおっさんです。プログラマーとして生きていくために日々コツコツやっております。

About
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私はこんな人です…

出生:1980年生まれ

出身:埼玉県

拠点:東京都

家族:妻 長女 長男

趣味:サッカー サーフィン キャンプ 読書 ジョギング バー通い

Person
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私の経歴です…

2003年:
大手不動産ディベロッパーに就職 / マンションの猛烈営業マンとして過ごす

2006年:
デザイン企画会社に転職 / マーチャンダイジングの楽しさを知る

2011年:
繊維雑貨OEMメーカーに転職(現職) / モノづくりの現場に驚愕する

2020年:
独学でプログラミングを勉強し始める / 日々エラーとファイトする

Career
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私のスキルは…

HTML

CSS

JavaScript

PHP

WordPress

Adobe Illustrator

Adobe Photoshop

Adobe XD

Skill
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私の実績は…

コーポレイトサイト制作

ポートフォリオサイト制作

ECサイト制作(カラーミーショップ)

ランディングページ制作

バナーデザイン

webアプリケーション開発

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Work

TASK_BLOGについて

当ブログにアクセス頂きありがとうございます。

このブログは、自分が起こしてきた行動を振り返れるように書き溜めるためのものです。かなり個人的な視点で書いているので、その点ご容赦ください。

本業は、バッグなどの繊維雑貨を製造するOEMメーカーに勤めております。しかし、ここでは主にプログラミング関連のことを書くつもりです。

なぜかと言うと、プログラミングのおかげで人生が変わったからです。

四十のおっさんがプログラミングでどう人生が変わるのか、それが当ブログのメインテーマです。

拙い知識や経験ですが、誰か一人の役に立てれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

※追記 たまにプログラミング以外のことを書くこともあります。

名前の由来について

このブログの名前について簡単に解説します。

TASKとは、「佐」(たすく)という漢字を勝手に英語に置き換えたものです。

デジタル大辞泉によると、「佐」には助ける、わきで支え助けるという意味があり、なんかイイ言葉だなぁと頭にインプットされました。

その意味を知った頃、努力は自分のためだけではなく、周囲の人を助け、幸せにするという実体験をしたので、タイミングがちょうど良かったのかもしれません。

ついでに、「憧れのイーロン・マスクにかかるようダジャレにしてしまおう !」というノリでelon-taskなんていうニックネームでやらせてもらっています。イーロン・マスクさん、イーロン・マスクさんの関係者の皆様、イーロン・マスクさんのファンの皆様、ごめんなさい。

以下、私の略歴です。つまらなかったら遠慮なく読み飛ばしてください。

略歴

2000年代前半
鬼のテツオとの出会い

2003年、遊び呆けた大学を卒業した私は、とある不動産ディベロッパーの新入社員として迎えられました。

その不動産デベは、大手企業で上場もしている会社でした。

入社してから知ったのですが、その会社の代表取締役が、社員時代に昭和的な猛烈営業で成り上がってきたアベテツオという方で、業界では「営業の鬼」として有名な方でした。

能天気に就職した私の生活は、大きく様変わり。

昼過ぎに起床していたのに、朝7時半には出社。1日200件程度の個人宅への訪問営業もしくは1日300件程度の電話営業。

帰宅は終電、休みはテツオさんの機嫌次第(平均月1〜2回)。

社内では部長・課長クラスの管理職によるハラスメントが横行。まさに暴力・罵詈雑言の総合デパートといったところ...。

今の時代なら、トップオブブラックとして、表彰されるような会社です(苦笑)。

大好きだった当時の彼女とも、あっという間に別れることに(涙)。

「やれるだけ頑張ってみて、早くやめよ〜っと」、1ヶ月も経たずに考えていました。

しかし、先輩や同僚などに恵まれ、なんと3年を過ごすことに。

さすがにそんな環境で3年過ごすと、「違う仕事をしてみたい !」という好奇心を抑えられず、自然と転職を決意。

コンサートグッズのマーチャンダイジングをメインに、企画、製造、デザインを行っている会社に入社することになりました。

2000年代半ば〜
Macを触り出したり、業界人っぽい空気を纏い出す

不動産というハラスメントが横行する、お堅く閉ざされた業界から、「エンタメ」「マーチャンダイジング」「デザイン」など、自由で横文字が似合う業界へ移った私は、日々刺激を受けていました。

先輩たちの服装は自由。「金髪もおるし、パーマあてがっとるやん ! シャレオツな感じ、俺はこういうのを待ってたんだよ !」と感動したのを覚えています。

なにより毎週ちゃんと休日がある ! しかも土日休み ! 最高かよっ !

もうそれだけで生きてる実感がすごいのなんの !

この会社での役割は、営業してOEM製造の仕事を取ってくる事。OEMとは、「Original Equipment Manufacturing」を略した言葉で、クライアントのブランドもしくはコンテンツの製品を製造することを指し、クライアントと打ち合わせにより決定した仕様の製品を各提携メーカーに発注し、納品するまでが仕事です。

製造するモノはクライアントの要望に異なりますが、Tシャツやタオル、バッグといった繊維雑貨もあれば、写真集やパンフレットなどの紙・製本物、フィギュアなどの3D成型物など、上げたらキリがありません。

仕事内容だけで覚えることが山ほどあるのに、その会社ではMac(その当時はまだデスクトップのブラウン管型のMacだった ! )を使用していて、Macの基本操作を覚えるだけで四苦八苦。

「このデータ、印刷屋さんに、入稿しといてー」と先輩社員に言われても、「コノデータ、インサツヤサンニ、ニュウコウシトイテー」にしか聞こえなく、また当時はフロッピーディスクにデータを保存していて、その保存方法すらよくわからず、まぁ最初は苦労しました。

ちなみに当時は、Adobe Illustrator8.0、Adobe Photoshop6.0というソフトウェアを使用していて、今よりずっと使いにくいバージョンでした。

運が良かったのは、会社が若くてエネルギッシュで、ゆるさの中に厳しさあり、といった風通しの良い雰囲気で、社員同志非常に仲の良い会社だったことです。

そんな会社で、不動産デベ時代とは比べものにならないほど充実した日々を過ごすのでした。

2010年代〜
世界の工場、中国でのモノづくりを体感する

プライベートでは結婚をし、充実した日々ではあったものの、「もっとモノづくりの現場に携わりたい !」という気持ちが抑えきれず、転職を決意。5年半お世話になった会社を辞めることにしました。

新しく入社した会社は、前職の時に取引していた下請けOEMメーカーから独立した方が代表を務める会社で、中国の各工場に直で仕事を依頼し、材料発注、加工、検品、輸入業務、納品までの製造・品質管理を自らのコントロール下のもと行う会社でした。

社長は私の4歳年上。社員は社長と事務のギャルっぽいネーちゃんと私だけ。よく言えばベンチャー企業、悪く言えば吹けば飛ぶ零細企業です。

主力商材は鞄やバッグ。前職での知識・経験が活かせる職種ではありましたが、中国工場と直接やり取りしているので、これまで培った知識だけでは追い付きません。

また貿易業務も絡んでくるため、最初は勉強の日々です。

でも、自分がやりたいことだったので、やはり充実していました。

そして、この会社に入社してからというもの、頻繁に中国出張する機会が増えました。

北は青島、南は広州・深圳・東莞まで、色々な工場でモノづくりを行い、行くとこ行くとこで刺激を受けます。

工場を直接見ることにより、設備や工員さんたちの作業内容の知見が溜まり、いつしか自分自身で商品の見積りが出来るようになっていました。

ちょうどその頃、エンタメ業界は右肩上がりに市場が成長しており、ありがたいことにクライアントから多くの仕事を頂いていました。

気づけば10年在籍していて、当初3人しかいなかった社員は、12人まで増え、上海にも現地法人を設立するなど、順調にビジネスを展開していました。

そんな中、全世界を揺るがす感染症が流行しました。

コロナ禍〜
コロナ禍、40歳のおっさんがプログラミングをスタート

2020年、コロナウイルスが全世界を飲み込んでいきました。

大勢の方が亡くなり、後遺症等に悩まされ、仕事を失った方々も数知れず。。。

我々が属するエンタメ業界は、その影響をもろに受け、仕事がパタリと途絶えてしまいました。

幸い、会社にはプールしたお金があり、また銀行からの与信が高かったため、すぐ生活に困ることはありませんでした。しかし、私は不安でしかたありませんでした。

「本業以外で稼がないといけない」

「でもどうやって?」

焦っていた私は情報収集を始めます。たまたま、NewsPicsというメディアのプログラミング特集が目に止まり、そこにはこう書かれていました。

「子供は義務教育課程で勉強するのに、大人はやらなくていいのか?」

強烈な焦燥感に駆られ、「やらないとヤバイ !」と行動を起こしました。

そんなこんなのある日、たまたまマナブログというサイトに行き着きます。

そこには、「プログラミングなら稼ぐなんてヨユー」と、あるじゃないですか !!!

マナブログを読み漁り、そこで始めて、「プログラミングなら本業以外で稼げるかもしれない」とスイッチがオンになりました。

それからはもうすっかりマナブログ信者です(笑)。

しかしながら、世の中そんなに甘くありません。稼ぐつもりで始めたプログラミングなのに、最初はさっぱりわけワカメ状態なんです。

HTMLから始めてCSS。CSSがやっと理解でき始めたと思って手を出したのが、JavaScriptでした。

「ジャバスクリプト、ムズすぎる...。」

ただ、追い込まれているので挫折という考え方は全く出てきません。

わからないことはリサーチして、狙い通りに動かせた時の快感はなんとも言えず、私にとっては中毒性があるものでした。

中学生の頃にハマっていた、「ロマンシングサガ」というRPGゲームをやる感覚に似ていて、そうして、プログラミングの世界へ足を踏み入れていったのです。

現在
そして、現在(2022年4月時点)

現在は、OEMメーカーの社員として仕事をしつつ、社内エンジニアとしても色々な業務を行うようになっています。

自社webサイトをリニューアルしたり、webマーケティングを行ったり、業務効率化のアプリケーションを作ったりと、web・ITに関連することは貪欲にチャレンジしています。

また、コロナ禍当初の不安から、勢い余ってサッカーのパーソナルコーチも始めました(笑)。
※その経験も今後発信する予定です。

と言っても割ける時間は少ないですが、小学生の子供たちにマンツーマンで教えるため、いかにわかりやすく言語化し、モチベーションをあげるか、日々四苦八苦しています(笑)。

2022年4月現在、なんとなくコロナ感染が落ち着き始めた中、エンタメ業界も回復傾向にありまして、どこか穏やかな気持ちで日々を過ごせています。

このブログでは、今までの経験をできる限り読みやすく発信していきますので、暖かく見守って頂けたら幸いです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。